
Vol.5 Buongiorno Micchan!
2004年7月のこと・・・
アフリカ北東部のスーダン共和国では、1983年の内戦勃発以来いまだに内戦が続いています。20年以上にもおよぶ内戦の犠牲者は200万人ともいわれ、こうした紛争犠牲者の救援を目的に赤十字国際委員会(ICRC)は1987年、スーダン南部の国境近くケニアのロキチョキオにロピディン戦傷外科病院を開設しました。以来、各国の赤十字社から医療スタッフが交代で派遣され、現地の医療スタッフと共に医療活動にあたっていました。私は2004年7月6日から2005年1月19日までの6ヶ月間、病棟看護師として活動する機会を得ました。
内戦のはじまりは・・・
スーダンは1956年にイギリスより独立。北部のアラブ人を中心とした政府軍(イスラム教徒)と南部の黒人を主にした反政府軍(キリスト教徒)が人種的、宗教的に対立し、1983年、政府がイスラム法を導入したことから内戦が勃発しました。
ロキチョキオって・・・
ロキチョキオはケニアの北部、スーダン国境から25km、ウガンダ、エチオピア国境とも近く、15年前まではツルカナ族が住む人口1000人ほどの村でしたが、現在は100を越えるといわれる機関がスーダン救援の活動拠点としており、そこに職や商業を求めたケニア人が集まり人口4万人以上の小都市となっています。
日中の気温は35℃前後、乾燥しているため気温ほど暑くは感じません。しかし脱水にならないよう少なくとも1日3Lの水分はとるようにいわれました。
病院は・・・
ロピディン戦傷外科病院は常時400人以上の患者収容能力を有し、年間約4000例の手術を行っていました。約200人のケニア人スタッフを雇用しており、手術室、ICU、KVO、URと8つの術後病棟がありました。その他、理学療法室、理学療法患者専用テント、退院患者専用テント、検査室、レントゲン室、薬局兼調度室があり、また内科病棟、スーダン人保健職員のための教育訓練施設、義肢、補装具工場、訓練施設もありました。
どんな患者さんが・・・
ロピディン戦傷外科病院は基本的に戦傷患者、他の緊急疾患に対して外科的治療を提供するもので、入院基準は (1) 弾丸、手榴弾、爆弾、地雷などの兵器による負傷患者 (2) 腸閉塞、分娩困難、骨折などの外科的緊急疾患 (3) 動物咬傷 (4) 当地域におけるケニア人の外科、内科緊急疾患でした。
そのなかで私は・・・
外国人医療スタッフは2つの外科チーム(医師1人、麻酔科医1人)、4人の病棟看護師、2人の手術室看護師、師長、指導外科医で構成されていました。病棟看護師としの私の業務内容は、現地スタッフに協力し、負傷者のケアやスーダンの看護学生の指導、病棟管理でした。ヘッドナースはオーストラリアから来られてました。ロキチョキオ空港まで私を迎えにきてくれました。一緒に働いたナース達はちょうど同じころ活動を開始したカナダのサンドラ、ニュージーランドのスーザン、スーザンの後任としてやってきたイギリスからきたクレア、手術室ナースはドイツから来てたサビーン、フィンランドのミナ、ドクター達はキューバ、イギリス、ハンガリー、イタリア、チェコ、・・・国籍はさまざまでした。



活動を終えて・・・
戦傷外科病院での活動は今回で2度目でした。はじめは前回の病院に比べロピディンは規模も大きく、入院患者の受傷原因の違いや入院基準も広範囲であるのに戸惑いました。しかしその中で戦傷外科の治療過程について、知識を深めることができました。また戦傷外科以外、VVF(Vesico Vaginal Fistula)プログラムにも関わらせてもらい、その治療過程を実際ケアにあたりながら学ぶことができました。VVFに悩む女性たちと関わる中で戦傷負傷者ではないが、このVVF発生要因には彼女たちをとりまく環境(貧困)が関係しており、結局は長引く紛争によるところが大きいと感じました。治療の見込みがなく手術を受けることができなかった女性の中にはスーダンに帰ることができずにカクマ難民キャンプに行くことを選んだ女性もいました。前回は兵器(特に地雷)による一般市民の負傷者に紛争の悲惨な状況を見せつけられたが、今回は紛争が生む貧困に開発が進まない悲しい現状を見せつけられた気がします。2006年ロピディン戦傷外科病院は閉鎖予定です。スーダンから運ばれてくる戦傷負傷者の割合は年々減少傾向にあり、スーダン内部にその活動の場を移して行く予定です。長年この戦傷外科病院で経験を重ね、知識・技術も豊富にもつ現地スタッフはどうするのか気になるところです。今回も現地スタッフに学ぶことのほうが多く、いつも助けられていました。
国際救援活動に再び参加できたことは赤十字の一員であればこその貴重な体験でうれしく思います。前回も感じましたが、国際チームの一員としての活動は、異文化のなかで異国の人たちと働く中でのむずかしさ、不安はなく、そこには赤十字の基本原則に則った明確な活動方針があり、同じ思いの仲間の中でいられる安心感のほうが強かった。紛争犠牲者と関わるなかでもその人がその人らしく生きていけることを一番に考える関わりは日本にいて患者さまと関わるのと同じことで、国際救援活動は何も特殊なことをするのではなく、日常の仕事で行っていることを、より広げたものととらえて、赤十字の基本原則である人道をより強く感じることのできる活動です。多くの人にこの人道を強く実感できる活動を体験してもらいたいと思います。
つらく困難な状況にあっても、明るく笑顔を忘れないでいるスーダンの人たち。よく笑いよく歌い踊る、みんなが家族のように助け合う優しい人たちでした。紛争は北西部のほうでまだまだ続いています。人は生まれてくる場所も時も選べず、生まれた場所によってこんなにも違う人生をおくるのかとまた考えさせられました。私たちにも何かできるはず、遠い国のできごとではなく多くの人が関心をもち彼らの生活が守られるよう願っています。

